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No.894

>>892 で触れた件から連想してもう少し。フィクション作品で、キャラクターの命の終わりがタイムリミットとして設定されることについて。きちんと調査したわけでもない、徹頭徹尾個人の感想です。

ティーン向け作品でいわゆる「余命もの」がめちゃくちゃ多いの、正直わたしはものすごく怖い。作劇の仕掛けとして時間的制約を設けるのは王道だけど、それにしたって「余命」を多用しすぎだろと思う。命の終点を感動のためのギミック扱いすんな。
というかこんなにも余命宣告されたキャラクターの作品ばかりに触れてしまって、当の読者であるティーンの精神は大丈夫なのかよ。しんどくないのか? そこまで深く考えずカジュアルに受け止めてるから大丈夫なのか? いやそれはそれで嫌だよ。頼むから実在の人の命の終わりに対して「感動する」とか「エモい」とか口にする人間にはなってくれるなよと願うばかり。

読みもしないでこんなん言うのもねと思って、そういったティーン向け余命もの(←この言い方でいいかげん気分悪くなってきたから代替表現思いついたら更新します)を1冊ぱらぱらと斜め読みしたこともあるんだけど、結末が「奇跡的に治療が成功して不治の病は完治しました。すっかり健康体で元気な子どもも産めてハッピーエンド」で悲しくなった。命を扱うなら最後まで誠実に扱ってほしかった。「やっぱ大丈夫でした」で終点を雑にスライドさせないでほしい。もちろんこれはわたしがたまたま手に取った1冊だけの話でn=1でしかないんだけど、よりによって最初に目に留まった1冊がそれかいっていう。
少し話がずれるけど福山リョウコさんの『人の命で青春するな』はものすごいタイトルだと思っています。現代だからこそのタイトルだというのと、現代のティーン向け作品にこのタイトルを付けるのは凄まじい意志を感じるというのと。

以上まるごとthe 苦言って感じなんだけど、一方で、紛れもなくわたしもこれまでの人生においてフィクション作品の生死に心動かされてきたんだよな。その生死が、今のティーン向けレーベルでもはや一ジャンルみたいになってるそれとどう違うのかって言われると……正直うまく説明できない。ただ新しいものを受け入れられないだけの難癖老人なのかもしれない、わたしは。でもやっぱしんどいんだよ、余命ものばかりで埋まる棚を見てると。

ただ、ここまで書いてる間ずっと頭にあったことだけど、生の終わりというリミットがない人間っていないんだよな。だからわたしが「タイムリミット設定すんのやめろ」みたいに言ってんのも大概滑稽ではある。設定もなにも全員にあるだろ現実見ろよっていう。むしろ夢見がちなのはわたしのほうなのか?

死恐怖症のくせになんでこういうことばっか考えてんだろ。死恐怖症だからこそなのかな。折りたたむ