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「これは制作陣(or 作者)が言いたいことをキャラクターに言わせてるだけだな」って感じることがたまにあるけど、それも自分という一個人の受け取り方でしかないから本当のところは分かんないよね。という当たり前のことをあらためて肝に銘じておきたい。
言い換えるなら「それまでのキャラクターの言動から飛躍してる」とか「話の筋に対してあまりにも唐突感が大きすぎる」とかになるのかな。
『となりのトトロ』、セリフぜんぶ言えるくらい小さい頃から何度も何度も観てきたんだけど、年を重ねるごとに感じることが変わってきていつも新鮮な感情が湧く。今日はなんかもうメイの「ほんとだもん、ほんとにトトロいたんだもん」で泣けて泣けて仕方なかった。


すっ……ごく良かった。
少しずつ自分の足場が狭まっていくような、胃がきりきりするような孤独感と、それがじわじわと緩んでいく安堵感みたいな。途中で出てくる街の人々は主人公目線だと少し冷たくも感じられるけど、本人たちからすればあれが最大限できることだよね。みんないろいろ考えてから声をかけたのかなーとか、後輩くんはどんな気持ちで夜を明かしたのかなーとか、登場人物全員それぞれの一夜に思いを馳せたくなる作品だった。折りたたむ
アップロー全員の来店コラボを観ました。



やんちゃキッズが4人集まったわちゃわちゃ感が面白かった。
燐央くんにトラブルが発生したとき(タイムスタンプ)は、個人コラボではドライで落ち着いてた燐央くんもさすがにふにゃふにゃになってて可愛らしかった。みんなで大騒ぎしながらもなんとか切り抜けようとしてる雰囲気が温かく、予想外のトラブル下という意味では最大限のものが発揮されていたんじゃないかなーと。
メンテ中の繋ぎ程度のノリで始まった烏有くんの怖い話がガチで怖くてびびり散らかしたけど、ホラーが苦手なガンマくんもしなしなになってたから元気出た。
これからも程よい距離感でアップローを追っていこ〜。折りたたむ
明日はエビマヨを作る。絶対に。
今クール、誇張抜きに毎話テレビの前でぶち切れ散らかしてる連ドラがあって、インターネットでも一時期はそのドラマについてのネガティブな感想と「嫌なら見るな」論がガチバトルしてたんですけど、なんで嫌な思いをしながらも視聴を継続し続けてるかっていうと自分の場合は《どれだけイラつこうともこの枠のドラマを観ないという選択肢はないから》ですよ。あとは《テレビの前で大暴れするときに脳から妙な快感物質が出て一種のストレス発散になっちゃってるから》ってのもあるけどこれは本筋ではないので掘り下げません。
例えばドアサ勢やニチアサ勢って、次クールの作品告知によって期待度の上げ下げはしつつも、全く観ないって選択肢は採らないじゃないですか。基本的にその時間帯のものは視聴する、それがひとつの習慣というか。
自分にとって件のドラマはまさにそんな位置づけで、エェ〜〜〜???ってなろうがハァ〜〜〜???ってなろうが視聴継続は既定路線で揺らがない、そういう枠なんだよな。正直何度も心折れかけてるけど、ここまできたらもうわしとドラマのタイマンよ(?)
次回も楽しみ。まじで。ぜってー完走してやる。折りたたむ
自宅療養で時間ができたのをきっかけにグラブルを再開したんだけど、今日はもうなんたってマグナProに感動した。これが欲しかったんだよ!!!という感じ。編成を考えなくていいのが一番のメリットだわ。Class. Vのアンロックのためにベルセルク、ランバージャック、スパルタ、キャバルリーのマスターレベルを上げないといけないから助かる。今のところやっとベルセルクが26くらいかな。頑張ろ〜。
ジョブだけじゃなく武器もキャラ編成も全く今の仕様に追いついてないから少しずつ令和最新版に近づけていきたい。まずどこからやってけばいいのかなー。十天衆の最終さえまだ一人しかできてないのに世間はもう賢者の最終楽しみだねみたいな話をしてるわけでしょ? やばいってまじで。
キャンペーン中にできる範囲で素材は集めておきたいなー。
『おげんさん』、星野源という人の思想がかなり色濃く表れている番組だなーと思うのだけど、見せ方も思想そのものも優しいから全く不快に感じないし、むしろ勇気をもらえる。
おげんさんが繰り返し言う「豊かな時間」って考え方がすごく好きだな。短くキャッチーに要約されてるモノがもてはやされている(し、実際それが役立つこともある)けれど、長くてちょっと難しくて説明しがたいモノをじっくり見るのも「豊か」でいいよ、っていう提示。

自分はダンスの素養が全くないんだけど、すごいダンスを見るとなんか泣いちゃうんだよな。なんでだろ。今日も大ちゃんと菅原小春さんのダンスを見て泣きながら「なんでかなー言語化したいなー」って考えてたけどよく分からなかった。
力強くて切実なものに心を奪われるから、なのかなあ。