マッドマックス
2024-08-15日記本より
『マッドマックス』再上映を観に、映画館へ。わたしは2015年公開の第4作目『怒りのデスロード』からファンになり、過去作はレンタルで観たので、この第一作目を映画館で味わうのは初めてだった。久々に観たけどやっぱり不思議な魅力がある作品だなあと思う。作中の治安がとにかく悪いし、マックスに降りかかる苦難があまりにもひどいもので救いもないので、もしわたしが何も知らないまま公開当時にこれを観てファンになっていたかどうかと聞かれると……正直分からない。そもそも観ようと思っただろうか。なんか怖そうな映画だなあとスルーしていたかもしれない。そう思うと、2015年に主演を一新して『怒りのデスロード』が公開されたことはわたしにとって僥倖だったな。
でもやっぱりメル・ギブソンは格好良いし、ヒュー・キース・バーンが演じるトーカッターは悪役ながら魅力的。やってることはやばいんだけど、一度見たら忘れられない求心力とカリスマ性があるんだよねえ。トーカッターを知ってから『怒りのデスロード』のイモータン・ジョーを見ると、その独裁支配の描写にも深みが増す感じがある。V8インターセプターやソードオフショットガンといった印象的なモチーフにも、カッコイイだけではない文脈とうまみが感じられて、シリーズをもう一周したくなりますね。
第1作目の『マッドマックス』で描かれるマックスには妻がいて、子どもがいて、だいぶ型破りではあるけれど警察官としての仕事に自信と誇りを持っていて、同僚とふざけて笑い合うひとときだってあり……とにかく人間的。でも、それから36年(36年!?)後に公開された『怒りのデスロード』序盤の彼はろくに喋ることもなく、喉の奥で低く唸っては相手に掴みかかろうとするばかりで、口枷をはめられた姿とあいまって、まるで獣のよう。同一人物でありながら対照的なその姿は、シリーズを通して見ると悲しいかな、ごく自然に繋がってしまって、マックスという男が味わってきた苦しみの大きさと、歩んできた道のりの険しさを思い知らされる。そう、今年の最新作『フュリオサ』に「マッドマックス・サーガ」と副題がついていたように、マッドマックスシリーズは〝サーガ〟、つまり大河小説であり英雄伝なのだ。マックスは町の警察官から、後の世まで語り継がれる伝説的な存在となるのだ——彼が望むと望まないとにかかわらず。そして作中で彼とかかわった人々だけでなく、この映画を観て心奪われ、その魅力を触れ回らずにいられないわたしもまた語り部の一人であり、彼を英雄にするピースの一つなのだ。多くの英雄がそうであるように、いつかマックス自身の人生に区切りがついたとしても、人々が語り継ぐことで英雄は英雄として存在し続けるし、むしろその影響力を増して伝説になり続けるのだと思う。わたしたちは伝説が伝説となるさまを、今まさに目撃しているのだ。
まじでマッドマックスの話ならいくらでもできるな。これは第一作目を観ましたよという日記です。日記のはずでした。