ルックバック

2024-08-16日記本より

家族と母と3人で『ルックバック』の映画を鑑賞。ハンカチがべっっっっっしょべしょになった。

わたしは小さい頃から絵を描くのが好きで、いっときは漫画家になりたいと思っていた。でも、ぼんやりそう思っていただけで、何かを犠牲にして必死に努力したわけじゃない。少し練習していた時期もあったけど、それだけ。大学受験を考える時には、絵に関わる進路を思い浮かべることすらなかった。だから、藤野や京本に共感して泣いているのかというと……たぶん違う。違うんだけど、二人のことを客観的に、冷静に見ることができない。

たぶんわたしは、うらやましくて悲しいのだ。自分にはこれしかないと思えるものに照準を定めて、それ以外のものを切り捨てられる勇気がうらやましい。その勇気を持ち続けられる体力がうらやましい。勇気も体力も、わたしにだって全くないわけではなかったはずなのに「わたしにはそこまでのスキルがないから無理」ということにして、脳内で言い訳を組み立てる速さばかりが上達し、今になって「あの時もっと頑張っていればちょっとはうまくやれていたんじゃないか」と恐ろしい想像に至って、後ろを振り返りたいのに、振り返れば《あの時》から取り返しのつかないほど遠くまで来てしまったことを直視せざるを得ないから、振り返れない。振り返れないほどのひどい人生を歩んできたわけじゃないはずなのに、振り返るのを怖いと思ってしまっている事実が悲しい。

映画館からの帰り道、『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』のことを思い出していた。あの映画の中では、人生で一つ選択をするたびに分岐のもう片方が別の宇宙として枝分かれし、無数の人生が並行して存在していた。なんかうまくいってない自分と時を同じくして、別の宇宙の自分は大成功をおさめている。「あの時ああしていれば、どうなっていただろう?」——その答えは全部、今の自分のすぐ隣にあるのだ。突拍子もない理論のようだけど、わたしにとっては希望でもある。取りこぼしてしまったと思っていた可能性は、振り返ったはるか向こうにあるのではなくて、想像以上に近くに——もしかすると、これから先に——あるのかもしれないと思った。