アストロノーツの幻肢痛 β版
『千代田秋澄様、会員登録ありがとうございます! 初回ご利用限定クーポンをお送りします』
パソコンのモニタの右上に、新着メールの通知が表示される。それを横目で確認した秋澄はステンレスのタンブラーを傾け、ハイボールを一口あおった。
「……これか」
秋澄が眉間に皺を寄せて見つめる画面に表示されているのは、〝いいもの賢く、オトクに試そう〟とのキャッチフレーズが軽やかに踊る、小綺麗なウェブサイトだ。掃除機や食洗機、美容家電にスマートフォンまで、さまざまな電化製品を手頃なエントリーモデルから最上位機種まで揃えており、郵送で貸し出しを行っているという。ドライヤーやデジタルカメラなどの小型家電は二泊三日から、大型の製品になると週単位でのレンタルが標準的らしい。
思った以上に幅広いラインナップに目を回しかけた秋澄は、先日の職場でのやりとりを思い出す。残業の合間に交わした、何気ない会話だ。
秋澄が勤める広告制作会社は、チラシやカタログにパンフレット、新聞広告から特設ウェブサイトまで、宣伝や広報にかかわる様々な物を作るのが主な仕事だ。案件の規模に合わせてライターとデザイナーがチームを作り、クライアントとやりとりを重ねながら制作を進めていく。秋澄はライターを務めており、キャッチコピーや記事本文の執筆はもちろん、制作物全体のアイデアスケッチを描いたり、先方と方向性をすり合わせたりといったディレクション業務も兼任することが多い。夏のセールの時期や年末年始のイベントシーズンなど、時季によって業務量にはかなり激しい波があるため、一時的に残業が続くことも珍しくない。
仕事が立て込むと家事に手が回らず、雑多な物が部屋のあちこちに出しっぱなしになる。床のホコリも気になるが、帰宅が遅ければ掃除機をかけるのも気が引ける——そんなようなことを何の気なしに愚痴ったところ教えてもらったのが、家電レンタルサービスの存在だった。
「うち、便利家電みたいなやつ導入しましたよ」
新人の仁井野は、給湯スペースで弁当箱をすすぎながら、事もなげに言った。
「便利家電? ロボット掃除機とか?」
「そうそう。あと単身用の食洗機」
「まじか」
仁井野はいかにも今どき世代といった価値観の持ち主で、便利な最新機器や月額サービスを取り入れることに抵抗がない。一人暮らしで食洗機を買うのを分不相応だと思うこともないようだった。ただしSNSをはじめとして、インターネットで情報収集するのを欠かさず、一つひとつ慎重に、レンタルサイトで試してから買うのだという。
「レンタルか。考えたことなかったな……」
コーヒーをいれたばかりのマグカップを手に呟いていると、秋澄の同期の遠迫が「俺は使ったことあるよ」と文字通り首を突っ込んできた。
「ライブ行く時に高級双眼鏡を借りたな。二泊三日で」
「ライブって、遠迫さんがいつも話してるアーティストの?」
「そうそう。広い会場だとハイテク双眼鏡が役に立つんだよ。防振機能がついてて、めちゃくちゃ遠くにいる演者もブレずにくっきり見えてさあ。普通に買うと十万くらいすんだけど、どの機種にすればいいか分からんから、一旦レンタルでいいかーみたいな」
「ははあ、そういう使い方もあるのか」
遠迫が「けっこう便利だよ」と笑う横で、仁井野も力強く頷く。秋澄は「機会があったら検討します」と無難に受け流したのだが——数日を経たまさに今、家で一人ハイボールを片手に、〝検討〟を行っているのだった。
「とりあえず、日中に最低限の掃除をしてくれればいいんだが……」
今回の目的である《ロボット掃除機》のカテゴリを選択すると、コマーシャルでよく見かける、丸くて平たい円盤形のロボットがずらりと並んで表示された。一番人気は一ヶ月レンタルで三千円。内蔵センサーで部屋の間取りや家具の配置を感知して、移動しながら汚れを吸い取ってくれる、ごく標準的なタイプだ。少し予算を上げれば、同時に水拭きまでしてくれる上位機種も候補に入る。
「……丸型だけじゃないのか」
メーカーによっては、三角おにぎりを平たくつぶしたような形のものや、四角に近いものもある。角の部分が部屋の隅のホコリをうまく吸ってくれるらしい。
さらに画面をスクロールさせると、大仰な充電ステーションを備えた機種がいくつか見つかった。一抱えほどもあるそのステーションは、単にロボット掃除機を充電しながら待機させるだけでなく、掃除機本体が集めてきたゴミを自動で収集してくれるらしい。ステーション内部のタンクにゴミを圧縮してまとめるため、ゴミ捨ての頻度が低く済み、管理が楽になるとのことだった。
「いろいろあるんだな。せっかくだし、高いやつを試してもいいか……」
目新しいものが選び放題で、しかも片手には酒。この状況に、最低限の機能さえあればいいという当初の考えはさっそく霧散した。秋澄は我知らず高揚し、あれやこれやと気になる機種のページを開いて品定めを始める。
「掃除機自体、ずいぶんと進化してるんだな」
楽しくなってきた秋澄はさらに脱線し、ロボット掃除機ではなく旧来の——人の手で握り抱えて操作する《掃除機》のカテゴリも見てみることにした。
「まあ、平日は帰りが遅くて無理でも、休みの日に試せばいいし」
もはや完全に本末転倒な言い訳をしながら、圧倒的なパワーでどんなホコリも逃さないと謳う海外製の高級掃除機などを眺める。紙パック不要のサイクロン式、いわゆる本体のないスティック型、とにかく軽さと取り回しやすさ重視のコンパクトタイプなど、これまた選択基準が様々で面白い。
ふうん、と頬杖をつき、ロボット掃除機の一覧に戻ろうとしてメニューを開いたときだった。秋澄の視線は、すぐそばの文字列に自然と吸い寄せられた。
「……『人型ロボット』」
そういえば、少し前から見かけるようになってきた気がする。いかにも人工物といった風情の作業機械ではなく、人間に近い外見と質感を持ち、作業の効率を上げるというよりは精神的に寄り添う目的で導入されるロボットを。超大型の家電量販店でデモ機が展示されているのを見たこともあるが、特に立ち止まることもなく流し見するだけだった。到底手の届く値段ではなかったし、それに——
「人型なんて、捨てるときどうすんだよ」
秋澄は、普段からぬいぐるみや人形が得意ではないと公言してはばからない。嫌いなのではなく、むしろ逆で、物に思い入れを抱きがちだし、人や動物を模したものに感情移入しすぎるのだ。ポストに入っていた自治体の広報チラシを捨てる時も、時間を割いてこの一枚を作ったスタッフの努力を勝手に想像し、申し訳なく思う。そこに地域の子どもたちの写真など載っていればなおさら心苦しい。捨てることや手放すことは他者にとっての不義理だ、という強迫観念のようなものがある。人型ロボットなんて、とても自分の手には負えない。
それでも画面から目を離せず、たっぷり考え込んでしまったのは、酒の勢いもあったし、仮にレンタルならば契約期間の終了とともに強制的に回収され、忍びないなどと後ろ髪を引かれる余地もないのではないかと想像できたからだった。カテゴリ名の下には、簡単な紹介文が添えられている。曰《いわ》く、『優れた人工知能を備え、家族のようにあなたと過ごします。扱うのに特別な知識は必要なく、普段の話し言葉で指示を与えられるから、簡単な掃除などもおまかせ!』。
「……あ、掃除もしてくれんの?」
最後の文言のおかげで、人型ロボットを借りる大義名分が生まれてしまった。
新品よりも幾分安い《整備済み品》をクリックしたのは、なけなしの自制心が働いたおかげかもしれない。まだまだ市場に浸透していないこともあってか、表示されたモデルは少なかった。自分の性格上、異性よりは同性の型のほうが気楽だろうと当たりを付ければ、それだけで候補は二機種まで絞られる。秋澄より一回りほど年上に見えるタイプと、同年代くらいと思われるタイプ。
ヒトは目の前に二つの選択肢を提示されると、どちらかを選ばなければいけないような気がしてしまうものだ。秋澄にとってこの性質は、広告を作る職業柄、否応なく頭に叩き込まれた基礎的なルールだったが、
「どっ……ちかというと、同年代のほうが過ごしやすいか……?」
仕事の場を離れてしまえば、秋澄自身にも十分に作用していた。
整備済み品とはいえ、それなりに値が張るから、あまり長期間借りるわけにはいかない。かといって、ライブで使う高級双眼鏡のように数日レンタルした程度では、あっという間に期限が来てしまって何にもならないだろう。それに、秋澄は平日にフルタイムで出勤している身であり、ロボットと接する時間は、平日の夜と土日だけだ。焦らずに過ごせる程度の日数を確保しておきたい。
「……よし。じゃあ、二週間だな」
秋澄は、急かされるように注文フォームを埋めていく。氏名、住所、電話番号、レンタル期間の《二週間》は指さし確認しながらチェックを入れ——景気づけとばかりに勢いよくハイボールを飲み干して、「注文確定」のボタンをクリックした。
ロボットが届いたのは、翌週土曜日の午前中だった。男女二人組のスタッフがやってきて、最初のセットアップまでをサポートするという。
二人がかりで運び込まれた段ボールは、なにかの手違いで冷蔵庫でも届いたかと思うほど大きい。しかし、みっちりと詰まった緩衝材を取り出せば、そんな思いもすぐにかき消えた。
夜空のように深い青色の髪をした男性型ロボットが横たわっていた。まぶたは閉じられていて、なめらかな頬に表情はない。秋澄はスタッフの肩越しに観察しながら、内心で動揺を鎮めにかかる。
——そりゃそうか。箱を開けた瞬間から目が開いてたら怖いだけだ。
ロボットが身につけている淡いグレーのポロシャツと濃灰色のボトムスはどちらも無地で、その色彩もあいまって無機質な印象が強い。レンタル時に読んだ商品情報によれば身長は秋澄とそう変わらないはずだが、横たえられているからか、いまいちサイズの感覚をつかめない。まだ電源が入っておらず自立しないため、スタッフが抱え起こしてダイニングチェアに座らせた。
背もたれに上体を預ける姿だけ見れば本物の人間のようによくできているが、これが人間でないことに疑いの余地はない。そもそも、ここまでされても起きないほど深く眠っている人を見たこともないから、なんにせよ秋澄にとってはただただ異質だ。じわじわと胸がざわついてきた。
……俺、思ったよりやばいもんを借りてしまったかもしれない。
秋澄の狼狽をよそに、カーキ色の作業着を着た男性スタッフは、数枚の書類をクリップボードに挟んで秋澄に差し出し、控えめに笑った。
「すごいですよね。結構リアルで」
「ああ……はい」
「最初の通電から初期設定までは立ち会って、一緒にいろいろと確認させていただきますね。その前にこちらをお読みになって、サインだけお願いします」
軽く目を通せば、レンタル契約やキャンセルに関する基本的な注意事項が箇条書きで並んでいた。その横で、もう片方の女性スタッフはロボットの後頭部の丸みに沿って手のひらをすべらせ、「えーと……あった」と呟き——
「え?」
ふと目を上げた秋澄がぎくりと体を強張らせるのをよそに、ロボットのうなじあたりから何かのケーブルを引き出した。
——ずるずる、と、気味の悪い音を聞いたような怖気が走る。実際には、大した音は立っていないはずなのに。
「コンセントお借りしますねー」
なんでもないように女性スタッフは続ける。若干目を泳がせながらサインを済ませた秋澄がクリップボードを男性スタッフに返すと、ロボットの向かいに座るよう勧められた。いよいよ起動させるのだという。
「当たり前ですけど、『はじめまして』を言えるのは最初の一回だけですから」
「はあ……」
言われるがまま、秋澄はダイニングテーブル越しにロボットと対面する形で座った。女性スタッフがまたロボットのうなじ辺りを探り、何かを押す。
瞬間、秋澄の視線はロボットの左耳についたシンプルなピアスに吸い寄せられた。今の今までピアスの存在に気づきさえしなかったのになぜ、と思い、すぐに理解する。ピアスがついているのではなく、耳たぶにLEDランプが埋め込まれているのだ。うなじのスイッチが押された瞬間からそれは緑色に光り、電源が入ったことを知らせている。
——マジで機械みたいだな。
間の抜けたことを考えている間に、どこか深いところから小さくブーンと駆動音が響いて——人型ロボットは目覚めた。
「……紫」
秋澄の口からこぼれ落ちるように言葉が漏れる。ロボットの虹彩は落ち着いた紫色だった。やや下を向いていたその両眼は、まぶたが持ち上がるのにつれてゆっくりと動き、そして真正面の秋澄をとらえる。
「はじめまして」
やや低めの、控えめな声が口火を切った。挨拶をされれば、秋澄も反射的に答えるほかない。「……はじめまして」
どっから声出てんだこれ、という素朴な疑問こそ生じれど、覚悟していたほどの違和感がないことに驚く。最近の人工音声はよくできている、と感心しかけたところで、ロボットは滑り出すように話し始めた。
「まずは言語設定を行います。あなたが使用する言語を教えてください」
「えっと、日本語で」
「ありがとうございます。使用言語を、日本語、に設定しました。いくつかの設定を行うには、Wi-Fiネットワーク、またはモバイル通信ネットワークへの接続が必要です。すぐにWi-Fiの設定を行いますか?」
スマートフォンを買い換えたときの初期設定を彷彿とさせる流れに、秋澄は冷静さを取り戻した。人智を超えた存在を取り寄せてしまったような気分に浸りかけたが……そうだ、こいつは機械だ。
横から、スタッフが最小限のアドバイスを与える。
「Wi-Fiは後回しにして、先に簡単な設定だけ済ませることもできますよ」
なるほどと頷いた秋澄が「スキップ」と発すれば、「かしこまりました」と明朗な返事があった。
「次に、あなたの氏名を教えてください」
「千代田、秋澄」
「ありがとうございます。千代田、秋澄、さんですね。所有者の氏名を、千代田、秋澄、に設定しました」
どこからか、キーンと小さな音が聞こえる。ロボットの両目が秋澄をまっすぐに見据えるのを受け止めれば、紫色の虹彩の中心にある黒い丸がわずかに収縮と拡大を繰り返すのが見えた。カメラの絞りのようだと考え、一瞬遅れて脳内で訂正する。瞳孔がカメラに似ているんじゃない、瞳孔を模して作られたのがカメラなんだ。間違えるな。これはヒトの目に似せたカメラだ。
「私は汎用型人工知能搭載人型ロボット、《ユニ》です。千代田、秋澄、さん。あなたをどのように呼びましょうか? お好きな呼び方を教えてください」
「……っと、呼び方、ってのは……」
助けを求めて振り返ると、二人のスタッフは既に書類ケースや工具セットをボストンバッグにしまい終え、こちらを見守っていた。
「どのように呼んでほしいかをご自由に言っていただければ大丈夫です。千代田さんとか、秋澄くんとか」
好みの呼び方など考えていなかったから、すぐに答えられるわけもない。黙り込む秋澄に、それらの設定もひとまずスキップしておけばいいとスタッフ達は助言した。この後に残っている設定項目といえば口調や性格の変更くらいで、最低限使うぶんには必須でも急ぎでもないとのことだ。ロボットが問題なく作動することも確認できたので、配送スタッフの作業はこれで完了だという。
二人に麦茶のペットボトルを渡して見送り、玄関からダイニングに戻ってくると、ロボットは姿勢よく座ったまま秋澄のほうを見ていた。目——もといカメラで人間たちの動きを追っていたらしい。
秋澄は向かいに座り直しつつ、なんとなく「……お待たせしました」と首をすくめたが、ロボットは何も答えない。意外とこういうのはスルーするのかと首を傾げ、そういえば〝呼び方〟の設定中だったと思い出す。
「呼び方か……さっぱり分からん。なにか選択肢が欲しいな」
そう考えたところで、最近使い始めた会話型AIをふと連想した。ウェブブラウザでアクセスし、思うままチャット形式で話しかけると、流暢に答えを返してくれる優れものだ。調べ物や雑談相手に利用するときには、お互いの質問に質問で返して、話題を掘り下げることもあった。……この手が使えるかもしれない。
「えーと、呼び方には、例えばどんなものがありますか。複数挙げてください」
「わかりました。人型ロボットが所有者を呼ぶときに用いる呼び方としては、次のようなものが代表的です。初期設定は『マスター』です。他には、千代田さん、のように名字を用いるもの、秋澄さん、のように名前を用いるものがあります」
「なるほど」
秋澄の肩から力が抜けた。会話らしい会話になっているし、望んでいた答えが返ってくる。ロボットは秋澄の安堵を知ってか知らずか、すらすらと続けた。
「子どものいる家庭だと、以下のような例もあります。お父様。お母様。お兄様、お姉様——」
「……ちょっと待て。お兄様?」
「はい、お兄様、です」
「ははあ」
軽くのけぞったおかげで、椅子の背もたれがぎしりと鳴った。ロボットはきょとんとした顔で——否、きょとんとして見えるよう巧みに制御された表情で、秋澄を見返している。
「それはまた、なんつうか……ファミリー層以外にも需要がありそうな呼び方だな……」
「なるほど、そうなのですね。あなたも、お兄様とお呼びしましょうか?」
「やめろやめろ。そういう意味で言ったんじゃない」
独り言を律儀に拾われた秋澄は、声を出して笑う。このロボットが家に届いてから、初めて見せた笑顔だった。それを見るロボットの目の奥から、キーンと小さな音が鳴った。その作動音にかぶせるように、会話は続く。
「そのほか、先輩という呼び方もあります」
「なるほどな。……とりあえず初期設定のままでいいよ」
「かしこまりました。所有者の呼び方を、マスター、に設定しました」
ロボットはしなやかに表情を動かし、笑みを作った。
残りの初期設定項目である口調と性格の変更とは、具体的にどういうものなのか。ロボット自身に尋ねれば、淀みない答えが返ってきた。
人型ロボットは、初回起動時には皆一様に落ち着いた丁寧語で話すが、オプションとして「より優しく」「もっと砕けた感じで」などと指定すると、見合った口調の会話モジュールをメーカーのサーバーからダウンロードし、インストールして適用するそうだ。
さらには、心理学のビッグファイブ理論に基づいた情動パラメータのカスタマイズができるとのことで、秋澄は目を丸くした。ビッグファイブ理論——大学の教養課程で軽く学んだような気がする。すべての人々の性格は、外向性や協調性といった五つの要素の組み合わせによって表現できるという理論だ。それを応用して、協調性が高いとか、より開放的であるといった項目を操作することにより、ロボットの性格を自由に変更できるということらしい。
「特にいじらなければ、人型ロボットの性格はみんな同じままなのか?」
「いえ、そうではありません。実は初回の起動時に、五つの要素の数値がランダムで割り振られ、それぞれの性格が決定しています」
「あ、そうなんだ。てことは、その……きみ?あなた?……も、ランダムで割り当てられた性格が今のそれってことか」
「はい、その通りです」
さらに、所有者をはじめとする他者と生活をともにするうち、さまざまな会話や体験から学習したことが五つの要素に影響を与え、性格はリアルタイムに変化していくとのことだった。
「もっと陽気なほうがいいとか、おとなしくいてほしいとか、ご希望があれば、カスタマイズをおすすめします。今から始めますか?」
問われた秋澄は「いや、別にいい」と即答した。
「つまり、お前にも生まれつきの性格があるってことだろ。別に変える必要ない。そのままでいいよ」
「かしこまりました」
しかし、と秋澄は腕組みをする。軽い気持ちで、というか八割がた酒の勢いでレンタルしたはいいが、思いのほか考えるべきことが多い。やはり取扱説明書に向き合うのが正攻法かとオンラインヘルプにアクセスしてみると、数百ページにわたる膨大な文章が飛び込んできて、明確にめまいを覚える。結局この日は、延々とマウスホイールを転がしながら取扱説明書を読んでいるうちに日が暮れた。
普段であれば、そろそろ布団に入ろうかとパソコンの電源を切る時間。秋澄は相変わらずダイニングチェアに行儀良く座るロボットに声をかけた。
「そういえばお前は、夜はどうするんだ」
「すみません、よくわかりません。どうするとは、どういった意味でしょうか」
「えーっと、つまり、横になるのか?」
「体を寝かせる必要はありません。充電が必要になればステーションに戻るか自分でケーブルを繋ぎ、スリープモードに入ります。パソコンの画面を一時的にオフにするようなものですから、呼んでいただければ、すぐに復帰できます」
「なんて呼べばいいんだ?」
「お好きな呼び方に設定できます」
ロボットが秋澄をどう呼ぶかだけではなく、秋澄がこのロボットをどう呼ぶかも考えなくてはならないらしい。また一つ懸案事項が増えた。こうなると、レンタル終了までに初期設定すら完了しないかもしれない。
「……そのへんは、おいおい決める」
「はい、かしこまりました」
ロボットは背筋を伸ばし、膝に手を乗せて秋澄をまっすぐ見ている。
「……じゃあ、俺は寝る。起きたらこの部屋に来るから。たぶん七時間後くらいになると思う」
「承知しました。アラームは必要ですか?」
「なに、アラームって」秋澄の表情が緩んだ。「お前がぴーぴー鳴るの?」
「必要であれば、可能です。プリインストールされているメロディのほか、言葉で呼びかけることもできます」
「へえ。気にはなるけど、とりあえず大丈夫です」
「わかりました」
ロボットは素直に口を閉じた。途切れた会話をあえて繋ぎ直す者は、この部屋にはいない。
「……じゃ。おやすみ」
「おやすみなさい」
「……おやすみっつったらスリープモードに入るとか、ないの」
「ご希望であれば、そのように設定できます」
「じゃあ、そうして」
「はい。おやすみなさい」
ロボットはすんなりとまぶたを下ろしながら、わずかに顎を引いた。途端、無音だと思っていた部屋の中がさらに静まりかえる。気付かなかっただけでこのロボットが常時わずかに駆動音を立てていたのだと思い知らされた。
秋澄はなんとなく足音をしのばせてダイニングを出た。そのまま寝室に入り、ベッドに入って目を閉じて——一分半ほど寝返りを打ったり唸ったりしてから、
「……くそ」
たまりかねたように跳ね起きた。クローゼットを開けて、天袋から夏物のタオルケットとシーツを引っ張りだし、ダイニングに戻る。シーツを座布団くらいの大きさにたたんでロボットの背中と背もたれの間に挟み、タオルケットは二つ折りにしてロボットの膝にかけた。一歩腕組みをしてしばし眺め、
「……何をやってんだ俺は」
ため息をついて、今度こそ寝室に戻っていった。