こころまであと半歩

はじめに

一貫性のある人に憧れがあった。ぶれない価値判断の基準を持っていて、何事も迷いなく論じることのできる人に。憧れのあまり付け焼き刃で真似ようとして、ずいぶんと愚かな言動をとってきた自覚もある。

少しばかり年を重ね、落ち着いて考えることを知った今、よくよく掘り下げてみればその憧れは、一貫した考えを持たない自分のコンプレックスの表れだと分かった。そしてさらに気付いたのは、一貫した考えなど持てなくていいということだった。

人間は生きていて、世界は常に変化している。ものをひとつ学べば見方は変わるし、何気ない一言で物事の意味も左右される。ひとりの人間に徹頭徹尾の一貫性なんて望めない。だって、〝一貫した人生〟なんてたぶん存在しないからだ。

一つひとつの出来事に繋がりはなくとも、日々は連綿と続く。

わたしの毎日にオチはつかない。ただ生活が続くだけ。それをただ記録してるだけ。

今日が始まり、そして終わる。夜が明ければ明日が始まる——それはただの言葉の綾だ。人々が寝ている間も地球は回り続け、時計の針は律儀に文字盤を周回していて、そこに明確なゴールラインなど存在しない。けれどわたしは布団にもぐりこんで目を閉じることで、足掻くように線を引く。うまくいかなかった《今日》というそれを終わらせるために眠りにつき、まるで新しく訪れる何かを祈るように背伸びをして、起き上がる。それは小さな店を営むのに似て、確かな責任と、ささやかな楽しさをともなう。わたしに自信なんてないけれど、これまでの日々で受け取った言葉を支えに心ばかりの看板を掲げて、そろりそろりと店を開けるように足を踏み出す。そういえば「営み」とは、生計を立てるための仕事だけではなく、日常や、暮らしについてをも指すのではなかったか。

一日は始まった。シャッターは上げた。看板も出した。
わたしの今日が開店する。

2024-11-30 Sat.

先週に引き続き、山崎やまざきたかし監督の初期作『リターナー』を映画館で鑑賞。いやもう金城かねしろたけしが格好良すぎる……。金城武、やっぱり金城武なんだよ……。

金城武は、1998年に放送されたテレビドラマ『神様、もう少しだけ』で一気に日本での知名度を上げた(当時は知らなかったけど、海外では既に人気だったみたい)。当時小学生だったわたしも例に漏れずそのドラマを観て金城武にメロメロになり、以降かなり長いこと「好きな芸能人は?」という質問に彼の名前を答え続けていた。とはいえ、自ら雑誌や本を買ったり情報を調べたりして積極的に追っかけることには考えが及ばず、その後、彼が日本の作品にほとんど出なくなり、目にする機会が減ったことで、わたしもいつしか好きな芸能人の筆頭に挙げることはなくなっていたけど……今日『リターナー』を観て、当時の気持ちがあっという間によみがえった。金城武は間違いなくわたしの〝原点〟です。

友達や母と好きな芸能人について話すと、「顔立ちのはっきりした人が好きなんだね」とよく言われる。眉毛がしっかり生えていて、目元もくっきりしている感じ。おまけに添えると、丸顔よりは面長ぎみで、声は低め、落ち着いた雰囲気。自分でもそういう特徴のある芸能人に目が行きがちだな〜と感じてはいたけど、今日理解した。わたしはたぶん無意識のうちに、テレビやスクリーンの中に金城武の面影を探しながら生きていたんだ。三つ子の魂百までというように、カモやアヒルの雛が最初に見たものを親だと思うように(これはちょっと違うか?)、わたしは小学生のとき初めて好きになった芸能人である金城武の影を、今に至るまで追い続けていたんだ。まるで人生の答え合わせをしたような気分。

しみじみと「金城武……」と繰り返しながら電車に乗って帰った。

2025-02-10 Mon.

これ絶対おもろいやろ、と思って買ったものの積んでしまっていた『フォース・ウィング』を読み始めた。これがやっぱりま〜〜〜じでバカおもろい。あたしが大好きなやつ。剣、魔法、軍隊、ドラゴン、全寮制学校、命がけの過酷な試験、小柄で強い女、優しい幼なじみ、敵対関係にある強い男——ぜ〜んぶ好きな要素です! ありがとうございます!!

本国のアメリカでも当然ながらものすごい人気らしく、なんなら今アメリカで爆発的に流行っている《ロマンタジー(ロマンス+ファンタジー)》というジャンルにおいて、この作品こそがブームの立役者だと言われているらしい。

この作品の主人公は、開幕時点ですでに20歳。そしていろんな意味で子どもではなく、セクシーな行為を匂わせる発言も多い。わたしが魔法学校やドラゴンといった要素から連想する雰囲気ではなく、明確に大人向けの印象を受ける。恋愛と魔法——それらが噛み合って、なんとも濃厚な読み心地に仕上がっているのだ。ロマンタジー、かなり注目すべきジャンルですよこれは。

剣や魔法は大好き。でも、自身が年を重ねた今、主人公が子どもだともはや感情移入というより「頑張んなさいよ〜」と甥っ子や姪っ子を見守るような気持ちで読むことになる。それはそれで良い読書体験ではあるものの、せっかくなら幼い頃『ハリー・ポッター』シリーズをむさぼり読んでいたときのように、ただただ我を忘れて物語にのめり込む読書がしたい——そういうわたしのような大人こそ、どうやら『フォース・ウィング』の読者としては最適っぽい。楽しんで読むぞ。

2025-03-27 Thu.

NHKの音楽特番『おげんさんといっしょ』を観た。「ファイナル」と銘打たれたそれが告知されたときから、また星野ほしのげんたちの〝おげんさんファミリー〟が見られるんだ!というわくわく感と、ファイナルってことは今回で終わっちゃうの!?という悲しさとでなんかもうよく分からない心情になっていたんだけど……見終えてみれば、すごくきれいで温かくて、案外すっきりとした気持ちだった。

調べてみたら、初回の放送は2017年だったみたい。そんなに前だったかあ。

わたしは当時Twitterでの告知を見て、「なんかおもろそう」というだけでテレビの前に座ったんだけど、始まってみると星野源がサザエさんみたいな髪型とフレアスカート姿で、失礼かもしんないけど《へらへら》とオノマトペをつけたくなるような笑顔で映っていて、それだけでちょっと笑った。高畑たかはた充希みつきはなぜか「お父さん」として髪を後ろになでつけた眼鏡姿でニコニコしている。パペットのねずみがなぜか普通に家族の一員みたいなノリで会話に参加しているし、彼に声を当てているのは声優の宮野みやの真守まもる藤井ふじいたかしはセーラー服を着ていて、なぜかおげんさんとお父さんの「娘」らしい。名前は隆子たかしこ。「たかこじゃないんかい」というツッコミがもはや些末でしかないくらい不思議な座組でゆるゆると番組は展開し、おげんさんが好きな音楽を熱く語ったり、視聴者から集まったくしゃみの瞬間の動画をファミリーのみんなで鑑賞して「これはいいくしゃみだ」などとコメントして……あまりにもほのぼのすぎる。それでいて、楽曲の生演奏が始まってみればサポートのバンドメンバーもメインのおげんさんファミリーもさすがのプロフェッショナルという感じで、自然と息を詰めて聴き入る凄みがあった。

それからだいたい年1回のペースで『おげんさん』は放送され、おげんさんの次男として三浦みうら大知だいちが加わり(豪華すぎない?)、として羽生はにゅう結弦ゆづるが加わり(豪華すぎない?&どういうこと?)、松重まつしげゆたかがスナックのママ兼おげんさんの乳母として加わり(本当にどういうこと?)、2020年のコロナ禍には、ファミリーが暮らす一軒家(のスタジオセット)を増築、部屋を分けるかたちで社会的距離を保ったままに『うちで踊ろう』が生演奏されて……。おげんさんの面白い試みを面白がる面白い人たちが一人またひとりと集まり、新しいアイデアがどんどん生まれて大きく育っていく秘密基地をそばで見守るみたいな8年間だった。その間に自分も世界もいろいろあったけど、楽しかったなあ。

思い返せば『おげんさん』は一貫してゆるい空気を保ったまま続いてきたけど、それは星野源に——じゃなかった、おげんさんに「ゆるくあり続けよう」という強く固い意志がなければ維持できなかっただろう。ゆるさには強さが必要だし、優しさにも強さが必要だ。

『曲は終わる、番組は終わる、人はいつか死ぬ。だから今、あるうちに一緒に歌うんだよ、そうだろ、世界』

最後の夜、最後の曲でおげんさんが叫んだ言葉、ずっと覚えておこうと思った。

2025-05-02 Fri.

わたしは(略)興味本位でホラー作品に手を出しては何ヶ月も引きずる子どもだった。トイレはもちろんお風呂も怖くて、3つ年上の兄に脱衣所についててもらうことでやっとお風呂に入ったこともある。

その夜わたしは、昼間に読んだ怖い話が脳裏にこびりつき、自動で脳内再生されてしまって困っていた。洗い物だなんだと忙しく動き回る母に「お風呂入ってきなさい」と促されたが、とても一人で入れるテンションではない。確かわたしは小学生の中学年くらいで、きょうだいと一緒にお風呂に入る年齢でもなくなっていた(というか、兄のほうが妹とお風呂に入る時期を過ぎていた)。でも怖いもんは怖い。それでわたしは兄に「あたしがお風呂に入ってる間、ここ(脱衣所)にいて。漫画とか本読んだり、何しててくれてもいいから」と頼んだのだ。兄は、わけのわからんことを言い出した妹を馬鹿にするでもなく、かといってめちゃくちゃ気遣うでもなく、ごく平坦なトーンで「いいよ」と応じてくれた。

それでもお風呂中はまあ普通に怖かったんだけど、びくびくしながら振り返れば、ドアの磨りガラス越しに兄の丸まった背中がぼんやり見えて安心できた。脱衣所の床に座り込んで、『ONE PIECE』だか小説だか単語帳だか、なにかを読みながら静かにそこにいてくれたんだと思う。お風呂を上がる段になったらわたしからドア越しに「出まーす」と声をかけて、兄は「ほーい」と脱衣所から出て行き、わたしが脱衣所に出てパジャマを着る……という流れで無事にミッション達成とあいなった。

あの後リビングに戻ったわたしはちゃんと兄にお礼を言っただろうか。あまり記憶がはっきりしない。でも、怖がりなわたしの変な頼みごとを茶化さずに聞いてくれたことは確かに心に残っていて、お兄ちゃんへの信頼と尊敬を構成する基礎のひとつになっている。

2025-05-13 Tue.

ヨドバシ全落ち!!(ニンテンドースイッチ2の抽選の話です)

イヤホンをつけて、ポッドキャストを聞きながらスーパーで買い物。レンジ調理できるうどんなど手に取って見ていたら、視界の端で知らんおばあちゃんがこちらに向かって口をぱくぱく動かしているのに気付いた。慌ててイヤホンを外すと、「これ、おいしい?」とうどんを指さしてくる。わたしがしげしげ眺めているのを見て気になったらしい。

「ごめんなさい、食べたことないから分からないです」

そう正直に答えると、「あらぁ」と一言。「でも、おいしそうですよねえ」と言ってみたら、「ね!」と返ってきた。そのまま2人でパッケージをためつすがめつ、しばし雑談。

「電子レンジで温めるだけみたいだから、簡単でいいですね」
「そうね、1つ買ってみようかな」
「1つで大丈夫ですか? 1人分みたいだけど」
「うーん……賞味期限いつかしら」
「えーと、10月だそうですよ。けっこう日持ちしますね」
「あらぁ、じゃあ2つにしようかな」
「それがいいですね、わたしも2つ買ってみます」

お互い2つずつうどんをカゴに入れ、「おいしいといいですね」と手を振って別れた。

知らないおばちゃんやおばあちゃんから声をかけられることがなにかと多いんだけど、イヤホン越しにも話しかけられたのは初めてかもしれない。楽しかった。

2025-06-20 Fri.

『マッドマックス 怒りのデスロード』(マッドマックスFR)日本公開10周年。もうそんなに、と思うし、まだそれだけか、とも思う。

わたしはSNSでマッドマックスシリーズのファンを何人もフォローしているから、タイムラインには記念すべきこの日にまつわる投稿がたくさん流れてきた。それらに触発されて自分もなにか語りたくなったけど、どれだけ考えても6年前に書いたこれがすべてなんだよな——『血管に直接ぶち込まれるみたいに「命」が流れ込んできた』。マッドマックスFRは自分にとって「命」、命そのものなんですよ。

2015年の夏、仕事がしんどくてしんどくて、でも疲れた頭ではまともな解決策が浮かばなくて、「病気になりたい」とか毎日考えていたんですよ。病気になれば会社を休めるかもしれないし、深夜残業を減らしてもらえるかも、と。
病気になりたかった。病気になって会社を休みたかった。「病気」の先まで想像することも正直一度や二度ではなかった。あの日も仕事で色々言われて、正当な叱責だったのかもしれないけど自分にはそれが判断できなくて、ただきつくて、泣いて、泣いたことで相手が《折れてくれる》のがいっそう悔しかった。
泣いたら「もういい、帰れ」と言われて、悔しくて腹立たしくて、相手に腹が立ってるのか自分に腹が立ってるのかもわからずぼんやりと会社の外に出て、せっかくだから、月曜から映画を見てやる、と思った。泣きながら母に電話をして、映画を見てくると伝えて、評判がいいからとマッドマックスFRを観た。
血管に直接ぶちこまれるみたいに「命」が流れ込んできて、わけがわからなくてぞくぞくして怖くて楽しくて気持ちよくて、2時間前までは「病気になりたい」と引きずっていたその足で、駅まで全速力で走って帰った。電話口で泣いてた子がすごいすごいとわめきながら帰ってきたせいか、母は困惑してた。
それまでは年に1、2回行くだけだった映画館に毎日通うようになり、近場にはない設備があるからと電車で遠征し、飛行機で飛び、友達も増え、母には少し呆れられ、なにより今はものすごく生きたい! 人生楽しすぎるしやりたいことが山ほどある。俺は死んでよみがえる、たぶんあの日によみがえったんだ。
ここ数ヶ月いろいろあって、人生とは、命とは……と考えることもあったんだけど、やっぱり自分は生きたいんだな。マッドマックスFRを観ればそれを思い出すことができる。この作品が自分の原点でありgreen placeでありhomeだ。今夜ひさしぶりに観て再確認できた。
2019年1月14日(月) 自分のTwitterより

命そのものといっても「これがないと生きていけない」みたいな依存の対象ではなくて、「これがあるから生きていける」っていう強力な支えなんだ。もう本当にしんどすぎて耐えられないと思っても、あの物語を思い返すと立ち上がれるし、まっすぐ立っていられる気がする。背骨なんだよ。