日々は静寂に灯る光(試し読み)

まえがき

はしがき、まえがき、はじめに。呼び方はなんでもいい、本文の前に挟まるこの部分を序文という。大抵の本にはあるものだから特に疑問も持たず読んできたけど、自分が書くとなれば話が変わる。序文って、なんなんだ。とりあえず手元にあるもので調べてみる。

単行本などのはじめのところにそえて、その本をつくった趣旨や方針などをのべた文章。序。はしがき。 (『三省堂国語辞典』第八版「序文」の項)

さすが「三国《サンコク》」、過不足なく分かりやすい説明。でもこれを読んでわたしは、大上段に構えて語れるほどの方針をそもそも持っていないことに気付いた。無計画ぶりを反省しつつ、もうちょっとヒントが欲しくて、机上に積まれた資料をあさる。

序文は読者の理解を助けるための〝前口上〟ともいうべきもの (日本エディタースクール『本の知識』二〇ページ)

前口上! 即座に脳内で「やあやあ、我こそは九州に住まう書き手の端くれ、ここに推参」みたいなフレーズが生成されるが、たぶんそういうことじゃないよね。事態はいっそう混沌としてきた。まえがきって何なんだろう——そもそも、この本はなんなんだろう。

去年のはじめ。人生初の同人誌を出すことにして、日記をまとめた本でいこうと決めたあと、わたしはその制作物を何と呼ぶべきか悩み続けることになった。仕事の休憩時間や寝る前にちょこちょこと書き留めた短文を大幅に加筆した結果、「その日の出来事」から勢いよく脱線し、幼少期の思い出から過去に書いた文章のふりかえりまでが入り混じったその文章を「日記」と呼んでいいものか、分からなくなったのだ。そもそも、後日加筆修正した日記って日記なのか?という単純な疑問もあった。そういった迷いから抜け出せずに発行日を迎えたわたしは、その本を「日記に加筆したエッセイ本」と言ってみたり「日記9割エッセイ1割」と表現してみたり、どっち付かずの言いようで通したのだった。

その迷いに対する答えをここに——二冊目の序文に書ければおさまりがよいんだろうけど、わたしはそれを放棄しようとしている。何が日記で、どこからが日記じゃないかなんて考えても仕方ない。その日の出来事をありのまま書き記すことなんて、どだい無理だ。

日々の出来事や、それに付随する感想、感情なんかを言葉にして残すとき、切り捨てられるものと増幅されるものの両方が存在する。書き手は意識的にしろ無意識的にしろ、その判断を無数に下しながら文章を紡いでいく。言葉を選ぶという行為はとりもなおさず、何を書いて何を書かないかを選別することだ。だから、「その日の出来事を書いた文章」は「その日の出来事」をそっくりそのまま真空パックしたものにはなり得ない。「感情をしたためた文章」は「目に見えない感情というものを可視化するために、言語というツールで再構成を試みた」ものでしかなく、どんなに緻密であろうと、その時に抱いた感情そのものとは違う。

わたしは文章を書くたび、夢の中で見た非実在の動物を粘土で再現するみたいに「なんか違う」だの「こうじゃなかった気がするけど、自分の技量だとこのくらいしか表現できない」だのとモヤモヤしながら、足りない部分を指で均《なら》して補う。完成したからではなく能力と時間の限界のために区切りをつけたそれを「よくできてるね」と褒められても、真っ直ぐに受け止められず「いや、実物はもっとすごかったんだよ」などと返したりする。それは謙遜や自虐というより、わたしにとってはただの事実で、後悔の発露にも近い。あの時に見たものや感じたことを満足いくかたちで表現できていないという思いが常にある。書いている間、ずっと悔しい。これからも、ずっと悔しいんだろう。

序文について考えはじめた瞬間から脳裏に浮かんでいるものが一つある。大好きな漫画『ガクサン』の、『「はじめに」から始めろ』という台詞。学習参考書の出版社に勤め始めた主人公が、巷にあふれる参考書の違いについて先輩社員に訊ねたときに返された言葉だ。

「『はじめに』には どういう意図でこの本を作ったのか どういう学習者に向いていてどのように利用すべきか なんなら著者の教育理念や社会への問題提起まで書いてある場合もある」
「『はじめに』で本の方向性や著者の考え方がわかる」 (佐原《さはら》実波《みは》『ガクサン』一巻 四七ページ)

日記に方針はないけれど、方向性なら書いているうちに見えてくる。わたしの場合それは、悔しい悔しいと歯噛みしながらも諦めきれずに言葉をこねくり回した痕跡であり、軟弱で怠惰な自分も少しは実のある毎日を過ごしているんだと希望を持つためのセルフケアであり、身近なひとたちに「一応こんな感じで元気にやってます」と伝えるための遠回しな近況報告だ。起きたことの記録を書き留めることが、これから先に起こることを乗り越える支えになってくれる、ような気がする。だからわたしは書くことを細々と続けている。

ここまで分かれば、口上だって怖くないかもしれない。
やあやあ、それでは始めてみようじゃないか。これがわたしの日記本だ。

2024-07-09 Tue.

仕事は休み。朝ごはんをミスタードーナツで食べることにした。ザクもっちドッグのカレーと、ポン・デ・黒糖と、アイスミルクティー。以前、ホットのロイヤルミルクティーのおかわり無料に助けられたので今回も頼もうと思ったんだけど、あれは冬季限定のサービスで、今はやっていないらしい。ちょっと残念だけど致し方なし。ミスドはブレンドコーヒーとカフェオレのおかわり無料を通年でやってるから、そこにミルクティーも加えるとなると管理が大変なんだろうな。冬にやってくれるだけでも十分ありがたいよね。

いろいろ考えごとをしていて、自分では大したことじゃないと思ってるけど実は特技だと言えることって意外とあるのかもしれない、とふと思った。

例えばわたしはピアノにコンプレックスがある。十年以上ピアノを習っていたけど、講師の資格を取ることもなくやめたし、作曲ができるわけでもないし、《今》の自分に繋がっているという自信があまりない。だから、お金を出したり送り迎えをしたりしてくれた親に申し訳ないという気持ちがある。

同様に、小学生のころ書道に通っていたけど、行書を習う前にやめてしまったのを後ろめたく思っている。楷書は多少できても、行書を習った人には遠く及ばないし、ご祝儀袋の表書きや年賀状などで筆文字の必要にかられたときに特別うまく書けている感覚がないから、むしろ劣等感をおぼえるときもある。

でも、少し前に、唐突に思ったのだった。なんでわたしは、できることをコンプレックスに感じてるんだろう?

もちろん、ピアノ講師や書道家に比べればわたしの技術は低いけど、まったく未経験の人に比べれば十分うまいと言っていいだろう。実際に「弾けない人間から見れば、右手と左手が別々に動くだけですごいんだよ」と言われたこともあるし。それなのにわたしは、経験者を名乗れるのはプロレベルの人間だけであると勝手に決めつけていた。その水準に満たないわたしが自信を持つことは「おこがましい」「許されない」とも。許されないって、誰に? 自分は生きるにあたって誰の許可を得ようとしているんだ?

よくよく考えれば、わたしは自分自身に対してちょっと厳しすぎる。だって、誰かと話していたとして、相手から「ピアノをやってたんですけど、資格を持ってないので大したことないですよ」と言われたら、わたしは「あ、それなら確かに全然大したことないっすね」と思うだろうか。「書道の賞をもらったこともありますけど、褒められるようなものではありません」と言われたら「うんうんなるほど、褒めるほどのものじゃないですね」と思うか? んなわけないよな。でも自分に対してはそれを思えてしまう。

どうも自分相手だと異様にハードルを上げてしまい、六十点だろうと八十点だろうと百点じゃないならゼロ同然だよみたいな切り捨て方をする癖がある。他にも意識できてない歪みや先入観がまだまだありそうだから、ちょっとずつうまいこと、こう……なんとか……いい感じに軌道修正して楽しく生きていきたい。

日付が変わって二十四時十一分。申し込んだ即売会の当落通知メールが届き、めでたく出店者として参加できることになりました!! 自分で申し込んでおきながら手汗がすごいけど、なんとか頑張りたい。なんとかなったら、当日はこの日記が印刷されて本になっているはずです。

2024-07-11 Thu.

セブンイレブンのビリヤニ食べた! うまい! 辛い! 鼻水出る! けどうまい!

2024-07-12 Fri.

ドラゴンボールの一番くじを追加で三回引いた。そしたらなんと、B賞とC賞が当たった!! それぞれ、神様とヤジロベーのどでかいフィギュア!! えげつない神引きすぎて、レジで「え? え? え? え?」って百回くらい繰り返した気がする。A賞の悟空とカリン様、D賞の神龍《シェンロン》もいいけど、もちろん神様とヤジロベーだって文句なしの神引き(神様だけに)。手持ちのエコバッグに入るわけがないので有料の特大ビニール袋を買って入れたら、クリスマスイブにお金持ちの人がおもちゃ屋さんから帰るときみたいな物量になり、帰宅ラッシュの電車に抱えて乗るのが若干申し訳ないほどだった。

こんな当て方するなんて、もしかして今日ツイてる!?と思って、最近ハマっているソーシャルゲームのガチャを引いてみたけどそっちは特に何も起こりませんでした。完。

2024-07-17 Wed.

職場から歩いて駅にたどり着いたら、通路に小さく人だかりができていた。通りしなになんとなくのぞきこめば、中心でお年寄りの男性が横たわっている。えっ、と思わず立ち止まり、その場にいた一人に状況を聞いてみると、暑さで動けなくなってしまったようだという。とはいえ意識はあるようで、横になったまま「すみませんね、ご心配おかけします」と案外はっきりした口調で話している。男性には同じくらいの年齢の連れがいて、近くでスマートフォン片手に救急車を呼んでいた。駅員さんもそばについていたので、なんとなくみんな「じゃあ大丈夫そうかな……?」という感じになり、少しずつ人だかりがほどけていく。わたしも「お大事にしてください」と声をかけ——「すみませんねえ」と返答があった——その場を離れて改札へ向かった。

ホームからは、先ほどの通路が小さく見えた。距離があるのでなにか視認できるわけではないけど、それでも目が離せない。腕時計に目をやると、わたしの乗る電車が来るまで、まだ五分はある。背中に汗が流れる感覚。暑い。日陰に立っているだけでこの暑さ、おじいちゃんが倒れている地面はどのくらいの温度なんだろう。救急車はあと何分かかるだろうか。酷暑のおかげで体調を崩す人が増えているとニュースでやっていた。感染症禍だってまだ終わってない。医療現場のリソースも限界だろう。結構待つかも。電車はあと三分。

うーーーん……と唸って、最後に一度、ン!!と気合いを入れ、全速力で駆け戻った。途中の自動販売機でペットボトルのポカリスエットのボタンを押し、電子マネーの読み込み部分にICカードを叩きつける。一瞬だけ迷ってミネラルウォーターも買い足し、また走る。改札を出て通路に戻ると、おじいちゃんは横たわったままで、駅員さんと連れの男性はそばに立ち、そしておじいちゃんに寄り添うように、さっきはいなかった若い女の子が二人しゃがみ込んでいた。上半身をさすってあげているその姿になんか泣きそうになりつつも「これ、よかったら」とペットボトルを差し出す。連れの男性に「あ、私は大丈夫です」と固辞されて思わず「いやごめんそういう意味じゃないっ」とツッコみそうになったけど、この人も多分、ご友人が突然倒れてしまったことで気が動転しているのだ。見ていた女の子たちはそれらすべてをすばやく察してくれた。

「私たちがもらってもいいですか?」
「もちろん。飲んでもいいし、買ったばっかで冷たいので……」
「一本は脇に当てようかな」わたしから提案するまでもない。安心感がある。
「はい。使ってください」

横になったままのおじいちゃんが、顔だけ持ち上げてこちらを見た。

「本当にすみませんね。ありがとうね」
「いいえぇ。お大事にしてくださいね」

一部始終を見ていた駅員さんにも深く頭を下げられて表情筋がぐにゃぐにゃになってしまい、とんでもない……とんでもないです……とぺこぺこしながらふたたび改札を通って、早足でホームへ戻る。ちょうどすべりこんできた電車のドアが開いたその時、小さく救急車のサイレンが聞こえた。思わず「来たぁ」と声が出た。

その後、電車に揺られて最寄り駅にたどり着き、家に帰ってリュックを下ろしてもまだ胸がどきどきしていた。急病人を目の当たりにしたショックと、猛暑の中全速力でホームと通路を往復した疲れと、複数の人から次々にお礼を言われた昂ぶりと、あのおじいちゃんは今ごろ起き上がって水を飲めているだろうかという心配と、わたしにも少しは善いことができた、という誇らしい気持ち。思い切って駆け戻ってみてよかった。

2024-08-14 Wed.

大胆な寝坊をした。なんとなく目が覚めて瞬間的に「まずい!!」と察し、スマートフォンの時計を見たら、出勤時間であるはずの午前九時だった。まずいまずいまずいまずいと呟きながらパニック状態で職場に電話をかけて、開口一番「すんません今起きました!」と謝罪する。電話口の同僚はその一言で全てを察してくれて、気をつけて来てくださいね、と笑ってくれた。

さておき、寝坊したときに、時計を見るまでもなく目が覚めた瞬間「まずい!!」と分かるのはなぜなんだろう。寝ている間にも脳は稼働しているから、部屋の明るさとかアラームの音とか、なんらかの外部刺激が積み重なり「これそろそろ起きないとまずくない?」と脳が気付いて、起きるに至るのかな。それとも、起きた瞬間から脳がフル回転を始めて、「この《すごい寝た感》は平日の朝では本来ありえない→アラームも聞いた覚えがない→つまりまずい!!」と判断してるのかな。わたしが認識するのは「まずい!!」のとこからなので、それまでの思考の道筋が分からない。どちらにせよ、脳ってすごいなあ(他人事)。

2024-08-15 Thu.

『マッドマックス』再上映を観に、映画館へ。わたしは二〇一五年公開の第四作目『怒りのデスロード』からファンになり、過去作はレンタルで観たので、この第一作目を映画館で味わうのは初めてだった。久々に観たけどやっぱり不思議な魅力がある作品だなあと思う。作中の治安がとにかく悪いし、マックスに降りかかる苦難があまりにもひどいもので救いもないので、もしわたしが何も知らないまま公開当時にこれを観てファンになっていたかどうかと聞かれると……正直分からない。そもそも観ようと思っただろうか。なんか怖そうな映画だなあとスルーしていたかもしれない。そう思うと、二〇一五年に主演を一新して『怒りのデスロード』が公開されたことはわたしにとって僥倖だったな。

でもやっぱりメル・ギブソンは格好良いし、ヒュー・キース・バーンが演じるトーカッターは悪役ながら魅力的。やってることはやばいんだけど、一度見たら忘れられない求心力とカリスマ性があるんだよねえ。トーカッターを知ってから『怒りのデスロード』のイモータン・ジョーを見ると、その独裁支配の描写にも深みが増す感じがある。V8インターセプターやソードオフショットガンといった印象的なモチーフにも、カッコイイだけではない文脈とうまみが感じられて、シリーズをもう一周したくなりますね。

第一作目の『マッドマックス』で描かれるマックスには妻がいて、子どもがいて、だいぶ型破りではあるけれど警察官としての仕事に自信と誇りを持っていて、同僚とふざけて笑い合うひとときだってあり……とにかく人間的。でも、それから三十六年(三十六年!?)後に公開された『怒りのデスロード』序盤の彼はろくに喋ることもなく、喉の奥で低く唸っては相手に掴みかかろうとするばかりで、口枷《くちかせ》をはめられた姿とあいまって、まるで獣のよう。同一人物でありながら対照的なその姿は、シリーズを通して見ると悲しいかな、ごく自然に繋がってしまって、マックスという男が味わってきた苦しみの大きさと、歩んできた道のりの険しさを思い知らされる。そう、今年の最新作『フュリオサ』に「マッドマックス・サーガ」と副題がついていたように、マッドマックスシリーズは〝サーガ〟、つまり大河小説であり英雄伝なのだ。マックスは町の警察官から、後の世まで語り継がれる伝説的な存在となるのだ——彼が望むと望まないとにかかわらず。そして作中で彼とかかわった人々だけでなく、この映画を観て心奪われ、その魅力を触れ回らずにいられないわたしもまた語り部の一人であり、彼を英雄にするピースの一つなのだ。多くの英雄がそうであるように、いつかマックス自身の人生に区切りがついたとしても、人々が語り継ぐことで英雄は英雄として存在し続けるし、むしろその影響力を増して伝説になり続けるのだと思う。わたしたちは伝説が伝説となるさまを、今まさに目撃しているのだ。

まじでマッドマックスの話ならいくらでもできるな。これは第一作目を観ましたよという日記です。日記のはずでした。

2024-08-16 Fri.

家族と母と三人で『ルックバック』の映画を鑑賞。ハンカチがべっっっっっしょべしょになった。

わたしは小さい頃から絵を描くのが好きで、いっときは漫画家になりたいと思っていた。でも、ぼんやりそう思っていただけで、何かを犠牲にして必死に努力したわけじゃない。少し練習していた時期もあったけど、それだけ。大学受験を考える時には、絵に関わる進路を思い浮かべることすらなかった。だから、藤野や京本に共感して泣いているのかというと……たぶん違う。違うんだけど、二人のことを客観的に、冷静に見ることができない。

たぶんわたしは、うらやましくて悲しいのだ。自分にはこれしかないと思えるものに照準を定めて、それ以外のものを切り捨てられる勇気がうらやましい。その勇気を持ち続けられる体力がうらやましい。勇気も体力も、わたしにだって全くないわけではなかったはずなのに「わたしにはそこまでのスキルがないから無理」ということにして、脳内で言い訳を組み立てる速さばかりが上達し、今になって「あの時もっと頑張っていればちょっとはうまくやれていたんじゃないか」と恐ろしい想像に至って、後ろを振り返りたいのに、振り返れば《あの時》から取り返しのつかないほど遠くまで来てしまったことを直視せざるを得ないから、振り返れない。振り返れないほどのひどい人生を歩んできたわけじゃないはずなのに、振り返るのを怖いと思ってしまっている事実が悲しい。

映画館からの帰り道、『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』のことを思い出していた。あの映画の中では、人生で一つ選択をするたびに分岐のもう片方が別の宇宙として枝分かれし、無数の人生が並行して存在していた。なんかうまくいってない自分と時を同じくして、別の宇宙の自分は大成功をおさめている。「あの時ああしていれば、どうなっていただろう?」——その答えは全部、今の自分のすぐ隣にあるのだ。突拍子もない理論のようだけど、わたしにとっては希望でもある。取りこぼしてしまったと思っていた可能性は、振り返ったはるか向こうにあるのではなくて、想像以上に近くに——もしかすると、これから先に——あるのかもしれないと思った。

2024-08-17 Sat.

ファンはアーティストの鏡、ではない。でも、アーティストの評価軸の一つになりえると思う。

特定のアーティストを応援して――近年の言い回しでいえば《推して》――いたとき、自分たちファンがアーティストの鏡であるなどと傲慢なことをゆめゆめ考えぬよう、肝に銘じていた。鏡だなんて物語性のある言葉で喩えれば、まるで自分が応援対象の写しにでもなったかのような錯覚を覚えてしまう。自分がファンであることがアーティストにとって価値があると、自分は特別な存在だと勘違いしてしまう。それだけは避けたかった。

人前に立つ職業のひとたちは、多くの場合ファンを大切にしてくれる。応援に対して感謝を返してくれるし、ともすれば、ファンのおかげで自分があるというような言い方までしてくれる。その言葉に嘘はないと思うし、応援と感謝が循環する関係性はとても温かくて居心地がよく、喜ばしいものだとも思う。でも、アーティストが発信するものとファンが送る応援は、全くつりあいが取れていない。我々は演者と対等ではない。そこを履き違えてはならない。

たぶん、ひとを《推す》というのは、ここまで深刻に考えなくてもできることなんだろう。でも自分は考えずにいられない。そういう性格なんだよな。

2024-09-09 Mon.

この日に書いたメモを読み返していたら、こんな一節があった。

理想の先輩を演じている
演じることで自分の気分がよくなるから

具体的に何が起きてこのメモを書くに至ったのか、詳しいことは覚えていない。でも、職場で年下の人に何かをして、お礼を言われ、「感謝されるほどの人間じゃないんだよ」と思いながら曖昧な笑顔で受けとめた記憶はある。

わたしの社会人生活は、未経験のまま実務に放り込まれるみたいな形で、なだれ込むように始まったから、体系立ったセオリーというものが分からない。数年後に後輩の教育係を任されたときにも、正直申し訳ないけれど手探りでやっていた。だから今でも、新人や学生さんにお礼を言われたり褒められたりすると、嬉しい反面、なんとなく居心地が悪い。

それでも自分なりに決めていることはある。例えば何かを頼まれたときに、ただ引き受けるだけでなく笑顔で「オッケー」「もちろんいいよ」「任せて〜」などと一言添えて、相手に罪悪感を抱かせないようにすること。人に助けを求めることは悪いことでも重いことでもなく、ごく気軽にやっていいことなんだと、受け手としての態度で示すこと。

例えばものごとの理解度を確認するとき、「わかった?」ではなく「ここまでで気になることある?」とか「次、一人でやってみてって言われたらできそう? 自信ないとこあったら教えて」みたいな訊ね方にすること。

例えば近くでちょっと微妙なラインの冗談が発生しているのを見かけたら、後でそれとなく「あれ大丈夫だった? 嫌な気持ちにならなかった?」と訊いてみること。見かけた発言そのものを問題視するかどうかというよりは、あなたのことを気にかける人間がこの職場に少なくとも一人はいますよ、とやんわり示すこと。その場合、「何かあればわたしに言ってね」ではなくて、「何かあればもちろんわたしに言ってくれてもいいし、他に誰か話しやすい人がいればその人に言うんだよ」と伝えること。相手の視野と選択肢を狭めないこと。目的はわたしが誰かのよき相談相手というポジションを得て自尊心を満たすことではなく、相手が職場で快適に過ごせるようになることだと肝に銘じること。

こういうのは全部、わたしの考える「職場にいてほしい人」の理想像をなぞっているだけで、目の前の相手を想ってというよりは、昔のわたしに背中を見せるためにやっているというほうが正確だ。あのときの自分に「こんなことができる人間になれたよ」と言ってあげられたら、今までわたしが生き延びてきた時間にも少しは意味があったと思える気がするから。人間なんて大なり小なり演技をしながら社会生活を送っているもんだろうから、わたしの《理想の先輩》のロールプレイだって許されるでしょう。たぶんきっと。