2026-05-07
仕事は休み。近所のお店で母の好きなレモン味のお菓子をいろいろ買い、花屋さんでカーネーションとかすみ草の花束も買って、実家へ。

駅まで車で迎えに来てくれた母に、まずは車の外から窓ガラス越しに花束を見せると、パッと表情が明るくなった。この瞬間の笑顔、動画で撮っておけばよかったなあ。動画ネイティブというかスマートフォンネイティブの人間ではないので、こういう時になかなか気が回らない。もっと日頃から、写真や動画で大切な人たちの姿を残すことを意識してもいいのかもしれない。
車に乗り込んで実家に帰った。母が食卓に出してくれたごはんを食べて、私と母がそれぞれ用意しておいたお菓子を開けて、お茶を飲みながら気ままに食べる。実家を出てから、こういう時間がいっそう大切に感じられるようになった。
この前、NHKで放送された音楽番組の録画を母に頼んでいたんだけど、それを一緒に観ようと言われてちょっと躊躇った。その番組で特集されたわたしのお目当てはいわゆる一般的な歌手ではなくて、VTuberだったからだ。
母は、「この人たちはこの姿が基本なの?」「ライブに行ったら本物(※リアルな人間のこと)が出てくるの?」と不思議そうにしつつも好意的に受け止めてくれた。特にイヅルくんの声が刺さったそうです。彼の歌声、唯一無二だよねえ。ざらついていて、荒っぽく聞こえる瞬間もあるのにどこまでも巧みで。
その後、追加でお菓子を食べたりちょっとした愚痴を聞いてもらったりしてから、帰宅ラッシュで電車が混む前においとまして帰ってきた……と書くのが一般的なんだろうけど、実家に「帰って」自宅に「帰る」ってこれ言葉の使い方として合ってんのか???と毎回もやもやする。なので、無事に帰り着いたことを母に連絡するときも「こちらの家に着きました」と言っている。些細な事かもしれないけど、自分が納得いってないままお茶を濁すみたいに言葉を使うの嫌なんだよね。
帰りの電車で本を読んだ。NO WARブックカバーをかけた文庫本を。
実際に街を歩いたり声を出したりするデモにはまだ行ったことがない。でも、今の自分の生活スタイルと体調の許す範囲で何かできることはないかとずっと考えていて、数日前に見つけたのがこのブックカバーの投稿だった。仕事帰りにコンビニで印刷して、折って、読み返している最中の『プロジェクト・ヘイル・メアリー』上巻に巻いた。
平日の昼下がりの電車内は空いていて、ただでさえ少ない乗客はみんなスマホだの雑談だのと思い思いに過ごしていたから、わたしが目の高さに持ち上げたそのカバーが誰かの目に少しでも留まったのか、正直分からない。この行動一つで世界が変わるという実感もない。でも確実に変わったものが一つある。わたしの内面だ。
以前、パレスチナ解放に関するバッジをトートバッグにつけて外出したとき、少し緊張したのを覚えている。電車の中で肩にバッグをかけ、平然と立ちながらずっと、「わたしと違う考えの人に絡まれたらどうしよう」とか考えていたのだ。今考えると微笑ましい。そんな心配が現実になるほど世の中甘くない。拍子抜けするほどにわたしの身には何も起こらなかったし、悲しくなるほどに世界は何も変わらなかった。でも、そのバッジを付けることで、自分の考えをきちんと持てているという自信と安心が得られた。
トートバッグにバッジを付けるの自体は、自宅で気兼ねなくやれた。付けた後はただ出かければよかった。でも、ブックカバーつきの本を取り出すという行為は、出先で「今やろう」と決めて、脳から筋肉に指令を送って、手を動かさないと実行できない。これがけっこう大きな違いだった。馬鹿みたいに緊張した。こんなんに緊張していることが情けない気もした。でも、本を開いてしまえばなんのことはない、ただ好きな本を読むだけだからすぐに集中して、ブックカバーのこともすぐ忘れてしまうくらいだった。
とりあえずわたしは今日、「何かしなきゃと思いながらまだ何もしていない人間」から、「何かしなきゃと思って行動した人間」になった。一朝一夕に世界は変わらないけど、他ならぬわたしが変わったんだから、大きな変化を起こしたと言って差し支えないでしょう。