2026-03-23

月曜日。職場の人たちに『プロジェクト・ヘイル・メアリー』の映画をおすすめするのが本日最大のタスク。張り切ってこなした。

退勤してメールアプリを開いたら、『銀河特急ミルキー☆サブウェイ』のBlu-rayが発送されたとのお知らせが来ていた。そういえば予約していたんだった。本編を何度も見返したいし、予約特典のアクスタも欲しくて。

世はまさに大アクスタ時代、今やフィクション作品だけでなく歌手も俳優もアクスタを出すようになり、すっかりグッズとして定着した感がある。自分は立体物を飾るマメさを持ち合わせていないので、正直なところステッカーやポストカードといった小さめの紙もののほうが手に取りやすいんだけど、ここまでみんながアクスタを出すならもうこっちが慣れるしかねえみたいな気持ちで買っている。それでもカートに入れるたび「これどこに飾るんだ」と我に返るのは避けられないし、そもそも当然ながら紙ものより値が張るから、むやみやたらには買えない。何度も自問自答して、厳選する。

今回の『ミルキー☆サブウェイ』Blu-ray特典は、原作の絵柄であることと、他のグッズには使われていない新規の構図であること、あとは購入店舗ごとにキャラを変えてメインの6人全員分がラインナップされていることから購入を決めた。わたしはこの作品に特定の《推し》はいなくて、みんながワイワイしてるさまに惹かれてるから、全員いるということそのものに価値を感じるのです。劇場版グッズも、単体のアクスタじゃなくて全員の小さいアクスタがセットになったアクリルジオラマのほうを買ったしね。もちろん飾れてないけどね。

届いたメールはもうひとつ。かつてめちゃくちゃ本気で応援しまくっていたアーティストの、新しいライブグッズ発売のお知らせだった。言うまでもなくアクスタもある。グループのメンバー全員分。でも、特に迷いもせず画面を閉じた。これは買わない。わたしがこのグループで一番応援していたメンバーは、数年前に卒業した。その人の卒業以来、わたしはこのグループのライブに一度も行っていない。グッズも全く買わなくなった。

興味がなくなったわけではない。むしろ気になる、だからこそメールの購読も続けている。SNSで「ライブ楽しかった」「最高!」といった感想を見かければ嬉しいし、わずかばかり誇らしい気分さえおぼえる。まだいっぱしのファンみたいに。それでも自分が距離を置いたのは、ライブに行ってステージ上にメンバーが現れたとき、その人達が《いる》ことよりも、あのメンバーが《いない》ことに意識が向く気がしたからだ。そしてそれ以上に、あのメンバーのいないライブを仮に少しでも楽しめてしまったら、自分で自分に落ち込むだろうと予測できたからだ。

体調不良などの一時的な不在ではない。根本的にメンバーの数が変わったわけだから、当然、振り付けやフォーメーションは再構成され、一人減った状態でも違和感のない形に仕上がっているだろう。プロのパフォーマンスなのだからそうあるべきだし、それができる人達だとわたしは思う。MCもそう。卒業したメンバーのことをいつまでも引き合いに出すわけもなく、新しいグループとして前向きに進行するだろう。そこになんの異論もない。

そんなふうに、空白がきれいに埋まったライブをつつがなく楽しめてしまうのが怖い。観ればきっと楽しめるだろうと、あの人達なら絶対に完璧なパフォーマンスで楽しませてくれるはずだと信じられるからこそ怖い。わたしの一番応援していたメンバーはいなくなってしまったのに、その空白さえ感じさせないライブを問題なく満喫してしまったら、わたしの心の中からあのメンバーと、熱狂していたあの日々のことが消えてしまうんじゃないか、あるいは《過去の思い出》として小綺麗で陳腐なパッケージに収まってしまうんじゃないかと予想がついて、怖い。……こう書いて気付いた。わたしは物事に整理をつけることを、心のどこかで陳腐なことだと思っているんだろうか?

もしかしたら、わたしは単にまだあの卒業に納得がいっていないのかもしれない。まだこの先もパフォーマンスを見ていたかったから、それが過去のものとして確定するのが嫌で、直視するのを避けているだけなのかも。

怖いから見ない、嫌だから見たくない——ただの子どもだ、こんなの。


『ミルキー☆サブウェイ』からけっこう遠い考えごとにたどり着いたけど、銀河の果てほど離れてはいないかな。……などと少しうまいこと言った気になれるくらいには落ち着いている。この数年間、卒業に関して何か書き留めようとするたび心が乱れてペンを置くばかりだったから、よかった。というか、もとより何年も経たないと言葉になんてできないことだったのかもしれない。

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