2023-04-06

映画『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』を観た。

公開前から気にはなっていたんだけど、先日のアカデミー賞授賞式を見て、やっぱり一度はこの映画を体感しておかないと、と思ったのだった。

主人公のエヴリンは、アメリカに住むアジア系移民。夫のウェイモンドと共にコインランドリーを営んでいるが、順調とはいえない。娘とはうまくいっていなくて、故郷からやってきた父は要介護。夫は優しすぎるがゆえにどこかいつも緊張感がなく、頼りがいがない。税務庁からはコインランドリーの経費について何やかやと詰められている。彼女はいつも手いっぱいで、頭の中はパンク寸前だ。そんななか、突然夫の様子がおかしくなり、「自分は別の宇宙からやってきたウェイモンドだ」と言い始める。わけもわからないままエヴリンは、無数に存在する宇宙にアクセスし、大いなる敵に対峙することになる——。

冒頭、何もかもごちゃごちゃとして余裕のないエヴリンの暮らしぶりに胸が苦しくなるほど感情移入するも、SF的展開が幕を開けてからはとにかく話についていくのに必死で、「これは……どういう映画なんだ……?」と困惑しながら観ていた。テンポが良くて共感できるポイントもあって、確かに面白いんだけど、どう着地するのか全く予想できない。豹変した夫に困惑するエヴリンみたいに、ただ翻弄されながらストーリーを追いかけた。

でも、話が後半にさしかかると、この映画が伝えたいメッセージがなんとなーく分かってきた。伏線がバシッと回収されてスッキリ!とかではなく、振り回されているうちにじわじわと目が慣れて、景色を見る余裕が生まれるような感じ。あ、もしかしてあなたが言いたかったのってこれのこと……?みたいな。

作中で提唱される説によれば、人生でなにか1つ選択を行うたびに、分岐のもう片方——それを選ばなかった場合の人生が別の《宇宙》として発生する、らしい。もしあの時、親に反発することなくアドバイスに従っていたら? もしあの日、娘に違う言葉をかけていたら? もし、この人と結婚しなかったら?

ケンブリッジ大学の研究によると、人間は1日のうちに3万5千回もの決断をしているそうだ。乱暴な仮定だけどそのたびに《もしも》の人生が枝分かれするとしたら……途方もない。でも、その途方もない可能性を、わたしたちはよく夢想する。あの時こちらを選んだのは正解だったんだろうか。あちらを選んでいたら、もっとうまくいっていたんじゃないか——。人生がぜんぜんうまくいかないエヴリンの前に現れるさまざまな宇宙は、数え切れないほどの心残りの結晶だ。

別の宇宙からやってきたウェイモンドは、普段の頼りない様子とは真反対の力強さで断言する。「君は何にだってなれる」

人生の選択をミスり、失敗するたびに、別の宇宙の自分が成功する。つまり失敗続きの人間には、あらゆるパターンの《成功した自分》がついている。だから最強なんだ、と。

さらに別の宇宙のウェイモンドが静かに説いた台詞も印象的だった。

「楽観的なのは、世間知らずとは違う。これが僕の戦い方なんだ」

もう1つ、とある宇宙で語られた言葉も忘れられない。

「私たちみたいな愛らしくない女が世界を動かしてる」

荒唐無稽かつ混沌としたストーリー展開で脳内をしっちゃかめっちゃかにシェイクされたあと、静かに心の底に落ちてきたのはこういう、驚くほど丁寧で切実でシンプルなメッセージだった。観終えたあとは、前半で「面白いけどわけわかんないな」とへらへら笑っていたのが嘘みたいにすっきりと穏やかな気持ちになっていて、まるで夢を見てたみたいだと思った。

映画館を出たあと、ちょうど母に会ったので、この作品について話した。こういうストーリーで、たぶんこういうメッセージが込められていて……と自分なりに説明していたらなんだか自然と涙が出てきて、自分でびっくりした。思った以上にこの映画が刺さっていたらしい。

万人受けする作品ではないだろうけど、わたしは観てよかったと心から思うし、人生に迷ったときにきっと見返したくなるんだろうとも思う。

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