2023-01-27
4回目の、新型ウイルスのワクチン接種の日。腕(というか肩)を出しやすいようにと前開きのシャツを着かけて、もっといいのがあるかもしれない、とクローゼットの収納ケースをひっくり返し、ノースリーブのニットを引っ張り出した。面倒くさかったので、その上からダウンジャケットを着ただけの格好で外に出たら、なんと雪がちらついている。でも、モンベルのダウンジャケットはとても優秀で、ほとんど寒さを感じない。すれ違う人たちは、まさかわたしがこの下がノースリーブ1枚しか着てないなんて思わないだろうな、と謎の優越感に浸りながら接種会場へ歩いた。
平日だったこともあり、会場は空いていて、入場してから一度も立ち止まることなくスルスルと接種完了。経過観察のために座って待機する15分間は、持ってきた本を読んで過ごした。今回は『ライティングの哲学』。職業として文章を書いている4人のひとたちが、文章を書くのってつらいよね、苦しいよね、でもなんとかやっていくしかないんだよな、と語り合った座談会の一部始終をまとめた本で、互助会のグループワークを見学するような雰囲気が居心地よくて、ときどき読み返している。特に今のわたしは、この日記を本の形にするためにコツコツと文章を書きためている最中なので、
「書くのってしんどい」
「クソみたいな文章しか出てこない、絶望」
といった4人の吐露が心にしみる。
帰りにカフェへ寄って、温かいゆず茶を飲みながらこれを書いている。たまにはこういうのもいいでしょう。
SNSを見ながら、ネタバレの範囲について考えていた。
映画や小説などのコンテンツについて話すときに、どこからがネタバレにあたるのか、という議論はインターネットで定期的に持ち上がる。とある感想に「まだ読んでない人もいるんだからネタバレを書き込むのはやめてください」と釘が刺され、「こんなのネタバレのうちに入らないだろ」と反論が飛び、それを目にした有象無象も「これはネタバレとして伏せておくべきだったのでは」「いや気にしすぎでしょ」と盛り上がって大乱闘に発展する、というのがいつものパターンだと思う。
わたし個人は、わりとネタバレを気にするほう。例えば、楽しみにしている映画は、公式に発信された予告編などの情報以外は何ひとつ目に入れないままで鑑賞したい。犯人が誰だとかいう物語の核心部分だけでなく、「面白かった」「ちょっと気になるところがあった」みたいな感想ですら、できれば見たくない。まっさらな心のままで初見の感動を味わいたいのだ。たぶん、世の中の平均よりは敏感なタイプと言えるんじゃないかなあ。
なんなら「あの作品についてネットが盛り上がっている」というニュースを目にするだけでも、自分にとっては「《何か》が起こる」というネタバレに感じられる。そんなん言い始めたら、そもそも何も起こらない作品なんてほとんどないやろがいという感じなんだけど、これはもう理屈じゃないのだ。わたしだって、自分のこの性質を至極めんどくさいと思っている。ネタバレを気にしなくてよくなる薬でもあるなら飲みたいくらいだ。でも、気になるんだから仕方ないじゃん。
わたしは自分の意見というものを持つのがすごく苦手で、他人の考えにひどく影響されやすい。自分で面白いと思ったものでも、誰かが「つまんなかったな」と言っているのを見たら「そう言われればそうだったかも……」と揺らいでしまうのだ。だから、自分の感想が固まる前に他人の感想を見聞きすることで感情の針がプラスに——あるいはマイナスに——振れてしまうのを防ぐためにも、できるだけ情報を遮断しておきたいのである。
もちろん、ネタバレをを気にせず書き込んで盛り上がる人たちが悪いわけではない。こちらがネットを見ないようにするのが正攻法(というか、真っ当な防衛術)なのだ。というわけで、Twitterやネットニュースもできるだけ開かないように気をつけてひっそり生きているので、「ネタバレに過敏な奴らってめんどくせえよな」と感じている人たちも、どうか許していただけたら嬉しいです。