2023-01-22
苦手なものが年々増える。
子どもの頃は、大人になれば精神的な余裕が増えて、次第に寛容になれるものだと思っていたけど、そうでもないのだと最近知った。むしろ、自分の価値観が成熟してきて、これは許容できる、これはどう頑張っても相容れない、という境界線がはっきりしてきたおかげで、「無理なものは無理」と自信を持って苦手になれる(?)ようになった。
……とわざわざ日記に書くということは、この日なにかしらの苦手な物事に遭遇したということなんだけど、好きでないことをあえて印刷物に載せて残すのもなんなので、詳細は伏せる。(追記:というか、この日に何があったのか完全に忘れました。結果オーライ)
仕事帰りに、ポッドキャストを録った。
最近は、個人でもインターネットで映像や音声を配信できる環境が整っている。ポッドキャストもその1つ。気が向いたときに、ラジオのようなものをスマートフォンで録音して、公開している。基本的には本や映画の感想と、日々の考え事などをしゃべっているんだけど、今回は、この本を作るにあたって自分の逃げ道をふさぐために決意表明のようなものを録った。台本なんてものはないので、思いついたままに話していたら、自分でも意識していなかった思いが口をついて流れ出た。曰く、「未来の自分から、過去の自分に『わかるよ』と言うために本を作ろうとしている」。
学生時代から、ブログなどで細々と自分の考えたことをインターネットに垂れ流してきた。記録するだけなら、手元のノートや日記帳に書いておけばいいはずなんだけど、不特定多数の人が見ることのできるところに公開しているのはなぜか。……たぶん、誰かに届いてほしいからだ。同じような悩みや不満、あるいは喜びを抱いている人の目に留まって、その人が「わかるなあ」とか「だよね」とか、なんでもいいから何かを感じて、何かを受け取ってくれたら嬉しい。あるいは、わたしの悩みや不満、喜びに対して「わかるよ」と感じてほしい。別にわざわざメールで「あなたの日記読みましたよ」とか送ってくれなくてもいいから、世界のどこかで、誰かに、1人でいいから「わかるよ」と思われたい。共感の声が直接わたしに届かなくても、共感してくれている人がどこかにいるかもしれないと思うだけで、インターネットにものを書くという行為には価値があると信じられる。
そして、ボトルメールのように放流してきたそれらの言葉を印刷して本の形にすれば、わたし自身もその受け手の1人になれる。手書きの日記帳や、ブログの画面を自分で眺めるよりも、かっちりと印刷された本のほうが、客観的にその文章に向き合える気がするから。わたしは、過去の自分が書いた文章に向かって、「わかるよ」と言ってあげたいのだ。
自分がこんなことを考えていたなんて、ポッドキャストの録音ボタンを押すまで気づいていなかった。無計画に「同人誌を作ることにしました」と話し始めて、5月の発行を目標にしますとか、頑張りますとか、当たり障りのないことをしゃべっているうちに、先に書いたようなことが自然と口からこぼれていた。こういう事例は時々あって、相談事を人に話している間に自分の中で答えが見つかることがあるのと同じ作用だと認識している。誰かに向けて話すことで、頭の中が整理されるんだろう。だからポッドキャストは面白い。
帰宅して晩ごはんを食べた後、ソファで大河ドラマを観ていたんだけど、いつの間にか寝てしまった。けっこう疲れているみたいだ。
大河ドラマといえば、去年の『鎌倉殿の13人』がわたしの心に残した爪痕はあまりにも大きい。放送期間中は毎週、母親や友人とLINEで「今回もすごかったね」とか、もはや言葉にすらならない泣き顔の絵文字などを送り合っていた。
小栗旬に大泉洋、小池栄子をはじめとするキャスト陣の演技は毎回すさまじく、息を詰めて見入らずにいられない迫力があった。カメラワークや照明、音楽や効果音なども、ため息が出るほど素晴らしかった。わたしは演劇や映像作品に関して全くの素人だけど、「宗教画みたいな美しさだな」とか、「闇に堕ちてしまったみたいに陰ってて怖いな」とか、「この鳥の鳴き声、悲鳴みたいだ」とか、演出の効果を毎回しっかり感じることができた。
そしてなんといっても三谷幸喜の手による脚本、これがすごい。何度「三谷幸喜、恐ろしい人……」と呟いたか分からない。視聴者が登場人物に対して抱く感情を、脚本によって完全にコントロールする、その技があまりにも巧みで怒りさえ覚える。「なんでこんな気持ちにさせるんだよ、どうしてくれるんだ」という怒り。三谷幸喜ご本人といえば、お茶目なおもしろおじさんといった風情なのに、こんなにもやるせなく絶望的で、背筋がぞっと粟立つような脚本を書くなんて。
特にすごいのは、ちょっと引くくらいに救いのないシーンと、声を出して笑えるほど愉快なシーンが、1つの回の中に違和感なく共存していることだった。以前コミカルなシーンで出てきたセリフが、数ヶ月後のシリアスなシーンで悲しく響く、みたいな仕掛けも随所に散りばめられていて、とにかく巧い。三谷幸喜は、喜劇と悲劇のバランス感覚が恐ろしく優れたひとなんだろう。
『鎌倉殿の13人』をリアルタイムで追いかけたことは、人生においてわりと大きな幸せのひとつだと思う。