いずれ遠ざかるあしたの記録(試し読み)

はじめに

日記らしい日記を書くようになったのは、たぶん中学三年生の頃だったと思う。セブンイレブンで買ったA6サイズのキャンパスノートに、思いつくまま文章を書いてみたのがはじまりだ。確か平日の夜だった。三歳上の兄は塾に行っていて、母もその送迎のため付き添っていたので、家にはわたし一人だった。ペンを走らせている途中で玄関の扉が開く音がして、そのままノートに「あ、今帰ってきた」みたいなことを書いた記憶がある。まるで脳内を実況中継するように書き留めていくスタイルは、この時から変わらない。

どうやら自分の頭の中には常に考え事がぐるぐると渦巻いているらしい、と気づいたのはそれからで、さあ日記を書こうとノートを開けば、ペンを持った手はいつも迷いなく、ひとときも止まることなく動いた。開きっぱなしの蛇口から水が流れて地面に筋をつくるみたいに、文字が罫線の間を埋めていく。なにかと思考は脱線しがちで、「ていうか」が一日の日記の内に何度も何度も登場した。そうやってぽんぽんと跳ねまわる思考の足跡を記録するのは楽しい作業だ。わたしの頭の中に、こんなにたくさんの言葉が詰まっていたんだ、と知った。

あえて他人に話すほどでもないし、自分でも考え事と認識してさえいないこと。思い浮かんだその時にノートに書き留めなければ、次の瞬間には忘れているような、ごく些細なこと。そういうことを覚えておきたくて——いや違うな、「ここにちゃんと書いたから、もう大丈夫」と安心して忘れたくて、断続的に日記を書いてきた。そんな細々としたよしなしごとも、積もり積もればこうして一冊の本になるらしい。

覚えておくためではなく忘れるために書いた文章を、わざわざ印刷して本にする。ちぐはぐなようでいて、これこそが自分のやりたかったことだという気もする。少なくとも、わたしはこの行程をすごく楽しんでいる。

では、始めます。

2023-01-18 Wed.

あらためて日記を書いていこうと意気込んだのが、昨日の一月十七日。仕事から帰って晩ごはんを食べたあと、軽い気持ちで横になったらそのまま爆睡してしまい、気づけば深夜三時四十分だった。日記もお風呂も諦めて寝直し、あらためて五時四十分に起きてからシャワーを浴びて出勤したのが今朝のこと。あれもこれも日記に書きたい、と考えていたことは寝てる間にほとんど忘れてしまったし、出鼻をくじかれたせいでやる気も一割くらいはどこかへ行ってしまったけど、これはこれでわたしらしいと言えるかもしれないので、気を取り直して書き始める。

最近、晩ごはんを食べたあとに眠くなることが多い。というか、一日中うっすら眠い。十一月から始めた仕事がなかなか忙しいうえに、体力をつけたいからと自転車通勤に切り替えたのが理由だと思う。

朝は、とにかく寒い。モンベルのダウンジャケットにモンベルの防風パンツ、同じくモンベルのネックウォーマーと手袋を身につけて、おまけにワイシャツの下のインナーもモンベルで、モンベルの妖精さんとなって毎朝チャリンコを漕いでいる。数年前までは、デザイン重視でアパレルブランドの可愛いダウンコートを着ていたけど、年々寒さに耐えられなくなってきたので、仕事の日は実用性だけ考えて服を選んでいる。

自転車通勤における地味な悩みといえば、眼鏡が曇ること。感染対策や防寒を考慮してマスクをつけると、レンズが白く曇って前が見えなくなる。かといってマスクを外せば寒い。幼稚園児の頃から眼鏡をかけているので、今さらといえば今さらなんだけど、物理的に前が見えない不便さには慣れるわけもなく、毎朝微妙に顔をしかめながら出勤している。

2023-01-20 Fri.

ツイッターが、サードパーティー製アプリを全面的に禁止することを正式発表した。今までは、ツイッターを見たり投稿したりするのに、有志の人や企業が作った非公式アプリを使うことができたけど、これからはツイッター社謹製の公式アプリ以外使えないようにするよ、ということらしい。

栄枯盛衰。インターネット好きが集まれば「ツイッターを見るのに何使ってる?」という話題でひとしきり盛り上がれるくらいに、今までいろんなアプリが開発されてきた。わたしも、スマートフォンを使う前から便利なツールやアプリを見つけては試してきたし、それ自体が楽しかった。特にIT業界にいるわけでもないわたしにとっては、特定のアプリケーション開発者に親しみを覚えるなんてことも、それまではまず考えられないことだった。

というかそもそも、ツイッターには長らく「公式アプリ」そのものが存在していなかった。たくさんのエンジニアが便利なアプリを作り、さらにたくさんのユーザーがそれらを使うことで、ツイッターはSNSとして発展してきたと言っても過言ではないはず。そうして土壌ができあがってきたタイミングで、満を持して公式アプリはリリースされた。その後も、非公式アプリに搭載されて人気が出た機能を、ツイッター社が公式の機能として採用する、という事例は少なくなかった。ことさらに過去を美化するつもりはないけど、昔のツイッターはそんなふうに、ユーザーやアプリ開発者との間の垣根が限りなく低くて、混沌としていながらも、どこかフレンドリーな空気があったように思う。

だからこそ、アプリ開発者を切り捨てた形になる今回の発表にわたしはがっかりした。こんなにもあっさりと梯子を外しちゃうんだなあ。

でも、ツイッターが情報源として役に立つ場面はまだまだ多いし、なにより、ツイッターを通じて知り合った人たちと簡単に縁を切れるわけもない。がっかりだよ、と嘆きつつも完全にツイッターから離れることができない自分が歯がゆい。